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【520名が亡くなった日航墜落事故から31年】墜落2時間後には米軍は現場に到着→救助を試みるも日本政府が「帰還命令」→救助が開始されたのは13時間後。その真相に怒りが収まらない!

2016-08-12 18:42:07

あれから31年。日本航空123便墜落事故は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」に墜落した航空事故。


乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2016年8月の時点で最多であり、墜落事故および単独機の航空事故でも世界最多である。





この忌まわしい事故から31年が経った。



墜落した時刻は18時56分。
この事故においては、事故発生してすぐ、米軍は墜落場所を特定し、墜落2時間後にはヘリで現場に到着していたという。しかし、救助開始する直前で日本政府から「待った」がかかり、命令によって救助を断念したというのだ(米軍パイロット談)。

その頃、ニュースでは「墜落現場は未だ特定されていない」と報道されており、墜落現場が特定されたと発表されたのは翌日の4時30分過ぎの事。

救助が開始されたのは8時半頃だった。



生存者:落合由美さんの証言
やがて真暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命振りました。「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。ああ、帰って行く・・・・・。

このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。

つまり、落合さんは墜落して間もなくの時間帯に、米軍ヘリの音を聞いていた(しかも、この時は生存者がまだ何人もいたと証言)という事なのだが、

防衛省は
「米軍ヘリが現場上空に飛来した事実は認められていない」
 

米国防総省は
「当時の記録は残っていない。ノーコメント」
としている。

墜落直前まで管制で連絡を取り合っており、墜落現場特定まで10時間近く要するというのは、確かに理解し難い。そして、米軍の救助を日本政府が断ったという事実。

明らかに、政府による何らかの隠蔽がされ、初動の遅れによって助かったはずの多くの命が失われたと疑われる。



 
この疑問について、ニュースステーションで報道された映像があるのでご紹介します。
このニュースの中で、ある軍事評論家は、
「世界最大規模のこの事故の管轄を、自衛隊が行うのか、警察が行うのか。この判断がつかず主導権争いをしている中で米軍に救助を開始されてしまってはメンツが丸つぶれになるから、初動を敢えて遅らせたのではないか?」

と語っていた・・・

そして、その時に出演した元自衛隊の人間は、明らかに嘘を言っているように見える。


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